医療に携わるという事は

​洪庵会が掲げる想い

不運という現実を見る、聞く、知るという機会に遭遇するということです。

生まれてきて直ぐに亡くなる運命

10代で亡くなる悲運 20代で亡くなる寿命

天寿とは一体何であろうか。

「人は怪我や病気で死ぬのではない寿命で死ぬのである。」

その言葉に縋りつきたくなる。

医療機関で働くという事は

「生きているだけで奇跡である。」

という真実を心に刻むということである。

心と体で

今、生きているという幸福と幸せを満腔の想いで感じるという事である。

自然と手を合わせる、手を合わさり生きていくという事である。

翻って、自分自身の人生はどうであろうか?

独りよがり、自分よがりの悲しみと苦しみとやるせなさに溺れていないだろうか。

無意識に不平不満を自分以外のせいにして結局、自分自身を不幸にしていないだろうか?

これでは私は先に逝かれた人々から叱られてしまう。

医療機関で働くという事は人の悲しみを感じるという事である。

人間の切なさがわかるという事である。

この世の理不尽さと御無体を知るという事である。

人のために生きてこそはじめて自分も生かされている事に気づく事である。

医療機関で働くという事は人と人の優しさに揺られて幸せに生きていけるという事である。

我々はあらゆる人に感謝しなければならない。

人はなぜ生きているのか?

少なくとも医療機関の人間は「それは人のために生きる為に生きている」と言い切れる幸せを享受している。

無力であろう。

役に立つどころか迷惑を掛けていくのであろう。

それでも「人の為に生きる」という意志だけは捨ててはならない。

これは医療に携わる人間の最後の尊厳である。

一人一人が死んでいくときに家族を想い、そして仲間を描きつつ

逝けるようなそんな希望を持っている。

人生のある一定期間、人のために共に仕事をした仲間を描きながら逝ける人生は素晴らしい人生であったと言える。

患者さんも仲間もお互いを敬い尊敬し、讃えて、気持ちよく、清々しく、

誰もが一人として例外のないこの限られている人生を生き抜くという事である。

古人曰く、「その人の立場に立って物事を考える、感じることを「憂い」といい、

人が憂いを持って「優しい」という文字になる。そして優しいという文字は優れているとも詠める」

医療に携わる人間は、優しいとは優れているとも詠めることを想いながら生きていかなければならない。